
「これ何」と思うかもしれません。
でも、よく見ると可愛いでしょう。
15年ほど前、武蔵小山の大好きだった洋食屋、三番のご主人にもらったカメラです。
デミグラスソースを一週間かけて仕込み、赤のコックチーフがビシッと決まったご主人の素敵なお店。
書いていたら思い出したあのカツカレー、今は、もう食べられない。
ポークカツレツ、ビーフカツレツ、タンシチュー、オムレツ。
カメラマンだと言ったら「父の形見ですが、よかったら、清水さんもらってくれませんか」と。パイプ(当時の僕は、パイプタバコ親父)と一緒に。
なぜ、くれたのかは、わかりません。
1964年に作られた KONICA EYE というカメラ。
レトロですが、1959年生まれの僕より5歳も若い。
もちろん、デジカメではなく、フィルムを入れて撮るカメラです。
当時高価だったフィルムを節約するためと、カメラをコンパクトにするため35ミリフィルムの半分のサイズを使って撮るハーフサイズのカメラです。
F1.9という、このクラスとしては、ずば抜けて明るいレンズを搭載しているのが特徴です。
デジカメ時代の今にも名前が残る OLIMPUS PEN などの仲間です。
できるだけ、誰にでも簡単に使えるように工夫されたカメラだと思いますが、今スマホで撮るような感じでシャッターを押したら、間違いなく写りません。
写真は、お父さんが撮るものだった時代

いわゆる、オートで撮れるバカチョンと言われたカメラです。
レンズの周りにあるセレン光電池というもので、明るさをを測り、オートで撮れる仕掛け。
明るさを測ると言っても、被写体が反射する光をではなく、今カメラがある場所の光を測るわけですから、カメラに直射日光が当たっていて、被写体が影になっていたりしたら、無茶な値になるはずです。
「今日は、晴れているからこのくらい」という経験値がなければ、普通に写すことも難しいかもしれません。
もちろん、フォーカスは、オートではありません。
基本的な写真の知識がなければ、撮れなかったと思います。
だから、誤解を恐れずに言えば、写真を撮るのは、お父さんの役割だった。
「お父さん写真撮って」と言われたら、想像すると、多分お父さんは嬉しかった。
カメラの説明書や写真の本を読んで勉強しただろうなと想像します。
だから、当然、レンズや絞りやシャッタースピードのことは知っていた。
晴れているから、フィルム感度 ISO100だから、1/250のF8くらいだよなと。
車の運転に似ています。
マニュアルシフトでスムーズに運転できるのは自慢だし、ほめられたら嬉しかった。
だから、多分こっそり練習した。
今、自動運転に近づいた自動車は、練習しなくても走る。
スムーズに走らなかったら車のせいだ。
今のカメラは、練習しなくても写る。
綺麗に写らないのは、カメラのせいだ。
その考え方、ちょっと違うかなと思います。
何より、楽しくないかも。
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