複写のように

気がつくと、時々、壁や木などの質感がある素材を複写のように撮りつづけていることがある。

何に使おうと言うというわけじゃないけど、なんとなく集める。

はがれかけたペンキ、錆びたトタン板、古い車の塗装、侵食された木目、波に磨かれて丸くなった石、光が写り込んだ水の表面そんなものが多い。

何も考えず撮っている、たぶん、好きな質感や模様を集めるのが好きなのかもしれない。

前にどこかに書いたような気もするが、写真の基本は複写だと思っている。

色と形が正確にわかることは、複写の条件だ。

加えて、質感の表現も大切で、写真の中のかなりの部分を占める。

例えば、被写体が油絵なら、絵の具の凹凸とツヤをどのくらい出すのかで印象がガラリと変わる。

それは、人の肌の描写にも言えることで、キレイとリアルのバランスが大事だと思う。

雨上がりの多摩川

Nikon Z6
Nikkor Z 24-70 f4

絞りf8~11
iso100~200


雨上がりの晴れの日、何を撮ろうと思ったわけではないが、カメラを持って多摩川に出てみた。

ミラーレスは、カメラバックじゃなく、適当なリュックでも持って出る気になるのが、ありがたい。

最初は、台風で流されてきた荒々しく壊された流木の表面を撮ってたけれど、イマイチ気が乗らない。

中洲の水際に出て足元を見ると、流れてきた泥もだいぶ洗われ綺麗になっている。

砂と石が作る模様が、かわいいなと思った。

柔らかな冬の日差しが優しい。

というわけで1時間ほど、気がつくと300枚も撮っていた。


カメラコラム:Raw 現像の話

この写真は、少し彩度を上げて明るめに編集
カメラ任せの JPEG で撮っても綺麗に写るのに、なぜ、Rawで撮るの?と思う人もいるかもしれない。
「もったいないから。」と答えるしかないかなと思う。


Raw は、編集しても基本的には劣化しないから、あとで表現を修正できる。
カメラマンを長い間やっていても、撮影時に全てを読み切って設定するのは難しいことだし、帰ってみると気が変わっていることもある。

料理に例えたら、お湯を注ぐだけのインスタントスープと生材料から作るスープのような違いとでも言ったら良いだろうか。
JPEG は、インスタントスープ。
シャッターを押した時点で、仕上がりの味は、決まっている。
メーカーが吟味した味だから、何か間違っていなければ、そこそこ美味しいし、あまり不満は感じないかもしれない。
あとで味を加えることは出来るかももしれないが、やれることは限られる。

Raw は、生素材から作るスープ。
経験がないと、どうして良いかわからないし、下手だとまずくて飲めないものになってしまう。
コツを掴んでうまく料理できたら、その人だけの味になるし、レシピを変えれば全く違う味にもなる。

僕は、銀塩写真の時から、白黒はもちろん、カラー写真でも、ネガカラーで撮ってプリントする方法で仕事することが多かった。
理由は、プリントすればもっと良くなるのに、露出を決めてシャッターを押すだけで仕上がりが決まってしまうのは、もったいないから。
もう少し空の白飛びを抑えたいとか、ある部分に視線を集中させたいとかそういうことがプリントならコントロールできた。

Raw で撮って Camera Raw で編集するのは、銀塩のネガで撮ってプリントするのと似ている。

といっても、最近の Camera Raw は、良くできている、難しく考えることはないと思う。
上の写真のように、鮮やかに軽く仕上げたいので、プロファイルは、カメラビビットを選ぶ。
  とりあえず Adobe 先生(左画像の自動補正クリック)任せで、いいところまでいってくれる。
特別に意図しているトーンがある場合は別だけれど、明るさなどの気になる項目を直していくだけで良い。
スライダーは、ちょこちょこやっていると迷う。大胆に動かしてみると、この辺かなとわかりやすい。
今回の Raw 編集は、ほぼこんな感じ(ちょっとずつ違う)。


サビ

Canon EOS 1Ds mark Ⅱ
EF 85 f1.2
EF24-105 f4
など


こちらは12年くらい前に撮っていたもの。

質感があるものが好きで撮っていたと思うが、今とは撮り方が違う。

以前いた武蔵小山のスタジオの周りに古い建物がたくさんあり、ちょこちょこ撮っていた。

この場所を、たまに通るけど、これらの壁は、今はない。

ちょっとむかし撮っていた写真を見ると思う。

写真も自分も風景も、変わったことも変わってないこともあるな。